ドラゴンボール超漫画はなぜここまでひどい評価なのか

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「ドラゴンボール超 漫画版って正直ひどいのでは?」そんな声がSNSや掲示板で増えています。なぜこれほど批判的な意見が集まってしまったのか、気になる方も多いのではないでしょうか。本記事では、漫画版とアニメ版の違いや、物語の進行テンポ、キャラクター描写の浅さなど、具体的な批判ポイントを徹底解説。その一方で、漫画版ならではの魅力や進化についても丁寧にご紹介します。「ひどい」と言われる理由を知りたい方も、もう一度作品を見直したい方も、ぜひ最後までご覧ください!

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1.はじめ

1-1. 「ドラゴンボール超」漫画に対する批判的な意見が多い理由

「ドラゴンボール超」の漫画版に対して批判的な意見が多く出ている最大の理由は、原作「ドラゴンボール」シリーズとの温度差にあります。特に、読者の間でよく指摘されるのが、ストーリー展開の薄さキャラクターの魅力不足です。

原作時代の「ドラゴンボール」は、悟空たちの成長やバトルの盛り上がりが絶妙に描かれていました。しかし「超」では、力のインフレが進みすぎた結果、強さの基準が曖昧になり、戦闘の緊張感が薄れてしまったと感じる人が多いです。たとえば「力の大会編」では、多くの戦士たちが登場するものの、ひとりひとりの描写が浅く、読者の感情移入を阻害しているとの声が目立ちます。

また、作画担当のとよたろう先生に対しても意見が分かれており、「絵は上手いけど、鳥山明らしい”動きのある絵”ではない」という指摘が続出しています。特にバトルシーンで、迫力不足を感じる人が多いようです。

こうした点に加え、ベジータや悟飯といった人気キャラクターたちが本来持っていた魅力を発揮しきれていないことも、ファンの不満を呼んでいる大きな要因となっています。
要するに、ファンが期待している「ドラゴンボールらしさ」と、実際に描かれている内容にギャップがあることが、「ひどい」と言われる原因なのです。

1-2. なぜ今、「ひどい」と感じる人が増えているのか?

最近になって「ドラゴンボール超」漫画版に対して「ひどい」と感じる声が増えている背景には、アニメ版との比較が強く影響しています。アニメ版は2018年に終了しましたが、その最終回は多くのファンから高く評価され、完成度の高さが話題になりました。そのため、漫画版だけが続いている今、アニメ版の印象と比較される機会が増えているのです。

特に、漫画版のオリジナル展開である「モロ編」や「グラノラ編」では、設定やストーリーの粗さが目立ちます。たとえば、「モロ編」ではモロという新キャラクターの強さが急激にインフレし、悟空の身勝手の極意でも苦戦する展開に「ご都合主義すぎる」との批判が多く寄せられました。

さらに、SNSの普及によってリアルタイムで意見が拡散されやすくなったことも、批判の声を後押ししています。特にX(旧Twitter)では、毎月新章が更新されるたびに「今回も微妙だった」「もう読むのやめる」といったコメントが多数投稿されており、ネガティブな印象が加速している状況です。

また、読者層の変化も無視できません。90年代に「ドラゴンボール」をリアルタイムで読んでいた世代が成長し、よりシビアな目線で作品を見るようになったことも、「ひどい」と感じる層が増えた理由の一つです。つまり、かつての熱狂的なファンほど、現在の内容に厳しい目を向けているというわけですね。

2.「ドラゴンボール超」漫画の魅力とは?

2-1. 漫画版とアニメ版の違い

「ドラゴンボール超」の漫画版とアニメ版には、いくつか大きな違いがあります。
まず最も大きな違いは、物語の構成とテンポです。アニメ版は2015年から2018年まで放送され、ストーリー展開がスピーディーで、迫力のある戦闘シーンが多く描かれていました。一方、漫画版はとよたろう先生によって連載が続いており、アニメとは異なる展開を見せることも少なくありません。

たとえば、アニメ版の「力の大会」ではジレンやケフラとの戦いが派手に描かれ、作画クオリティも回を追うごとに向上しました。しかし、漫画版では力の大会の描写がかなりコンパクトにまとめられており、細かいバトルやキャラクター同士のドラマが省略されてしまっています。このため、「盛り上がりに欠ける」と感じる読者が多いようです。

さらに、キャラクターの扱いにも違いが見られます。特に、アニメでは見せ場があったベジータが、漫画版では悟空の引き立て役に回ることが多く、ベジータファンから不満の声が上がっています。
このように、アニメ版と漫画版は単なるメディアの違いだけでなく、ストーリーの深みやキャラクター描写にも大きな差があるため、それぞれに対する評価も大きく分かれているのです。

2-2. 作品の特徴や進化の過程

「ドラゴンボール超」の漫画版には、独自の特徴と進化の過程があります。
連載開始当初は、アニメ版のストーリーを追いかける形で描かれていましたが、「力の大会」終了後から完全オリジナル展開に突入しました。このタイミングで、「銀河パトロール囚人編(モロ編)」や「生残者グラノラ編」といった新章がスタートし、物語に新しい世界観やキャラクターが加わっています。

たとえば、モロという敵キャラクターは、かつてないほどスケールの大きな魔導師で、地球だけでなく宇宙全体に影響を及ぼす存在として描かれました。このように、スケール感が拡大したことは作品の進化の一例と言えます。

また、悟空の「身勝手の極意」の習得プロセスや、ベジータがヤードラット星で学んだ「スピリットの分離」など、これまでになかった新たなパワーアップ描写も導入され、従来の「ひたすら強くなる」だけではない成長物語が描かれるようになっています。

しかし一方で、進化する過程でストーリーのご都合主義的な要素も増えてしまい、違和感を抱く読者も出てきました。
良くも悪くも「ドラゴンボール超」漫画版は、原作の枠を超えて独自の路線を模索してきた、そんな作品だと言えるでしょう。

2-3. 漫画版のファンの意見

漫画版「ドラゴンボール超」には、熱心なファンが存在する一方で、厳しい意見も少なくありません。
ポジティブな意見としては、「とよたろう先生の作画がどんどん上達している」「アニメ版では描かれなかった悟空とベジータの細かな成長が見られる」といった声が挙がっています。特に「身勝手の極意」を自在に使いこなす悟空と、それに対抗するために独自の道を進むベジータの姿に、感動したというファンも多いです。

一方で、批判的な声としては、「敵キャラに魅力がない」「テンポが遅くて緊張感がない」「バトルが単調になった」といった意見が目立ちます。特に、「グラノラ編」では、複雑な設定が続いたことで話が散漫になり、「誰に感情移入すればいいのかわからない」という声も多く聞かれました。

また、SNS上では、「力の大会までは良かったけど、モロ編以降は惰性で読んでいる」という意見も一定数見受けられます。
このように、漫画版「ドラゴンボール超」は、熱心な支持者と厳しい批判の両方を抱える、評価が非常に分かれる作品になっているのが現状です。

3.批判的な意見を深掘り

3-1. 物語の進行速度が遅い

「ドラゴンボール超」漫画版が「ひどい」と言われる一因に、物語の進行速度の遅さが挙げられます。
たとえば「モロ編」では、地球にモロが襲来してから悟空たちが本格的に反撃を始めるまで、かなりの話数を要しました。単行本でいうと第9巻から第13巻にかけて、モロとの戦いが続きますが、展開にメリハリが少なく、読者から「もっとテンポ良く進めてほしい」という声が多数上がっていました。

また、最近の「グラノラ編」においても、グラノラの過去回想や設定説明にかなりのページ数が割かれ、バトルに入るまでに時間がかかっています。このため、連載をリアルタイムで追っている読者の間では、「1ヶ月待ったのに話がほとんど進まなかった」と感じるケースが増えています。

週刊連載ではなく月刊連載という特性上、どうしてもスピード感に欠けるのは仕方ない部分もありますが、それにしても読者の期待値に対して展開の遅さが目立ってしまい、不満が積み重なってしまっているのが現状です。

3-2. キャラクター描写の浅さ

漫画版「ドラゴンボール超」が批判されるもう一つのポイントは、キャラクター描写の浅さです。
かつての「ドラゴンボール」では、悟空の成長やベジータの葛藤、悟飯の覚醒といった、キャラクターそれぞれのドラマが丁寧に描かれていました。しかし、現在の「超」では、こうした細やかな心情描写がやや物足りなくなっていると指摘されています。

特に、ベジータに関しては不満の声が多く、たとえば「モロ編」ではヤードラット星で修行し新技「スピリットの強制分離」を習得するなど新たな成長を見せましたが、その後すぐに悟空の「身勝手の極意」が目立ってしまい、結果的にベジータの努力がかすんでしまう展開になっています。

また、新キャラクターであるモロやグラノラについても、背景は語られるものの、感情移入できるほどの深い描写には至っていないケースが多いです。このため、「設定は凝っているけど、キャラが薄っぺらい」という印象を抱く読者が少なくありません。

こうしたキャラクターの内面に対する掘り下げ不足が、物語全体に感情的な盛り上がりを欠けさせ、「ドラゴンボール超はひどい」と言われる大きな理由の一つになっています。

3-3. 戦闘シーンのマンネリ化

「ドラゴンボール超」漫画版で多くの読者が指摘しているのが、戦闘シーンのマンネリ化です。
かつての「ドラゴンボール」では、かめはめ波、元気玉、フュージョンなど、毎回新しい技や戦略が登場し、読者を驚かせてきました。しかし現在の「超」では、気のぶつかり合いと肉弾戦の繰り返しが中心になりがちで、戦闘に新鮮味を感じられなくなってきています。

たとえば、「力の大会編」では悟空が身勝手の極意を初めて発動するシーンに大きなインパクトがありましたが、その後は身勝手頼みの戦闘が多く、必殺技や戦術のバリエーションがあまり広がっていません。
また、モロ編やグラノラ編では、戦闘中に相手のパワーアップイベントが頻発するため、「結局またパワーアップして逆転するパターンか」と読者に読まれてしまう展開が続いています。

もちろん、絵のクオリティ自体はとよたろう先生によって安定しているのですが、演出面での新しさや工夫が足りないと感じる読者が増えているのです。
そのため、戦闘シーンが続いても「ワクワクしない」「結果が見えている」と冷めた目で見られてしまい、「ひどい」と評価される原因の一つとなっています。

3-4. 旧作との整合性問題

「ドラゴンボール超」漫画版が「ひどい」と言われる理由のひとつに、旧作「ドラゴンボールZ」や「ドラゴンボール」本編との整合性問題があります。
特にファンからよく指摘されるのが、「キャラクターの性格や強さ設定が旧作と食い違っている」という点です。

たとえば、ベジータに関しては、かつての「プライド高き戦士」というイメージが、「ドラゴンボール超」ではギャグ要員的な立ち位置に寄りすぎていると感じる人が多いです。悟飯に関しても、旧作のセル編で見せた覚醒ぶりが嘘のように、戦力としてあまり目立たない存在になってしまっています。

また、「スカウター」や「界王拳」など、旧作で重要だった設定がほとんど活かされていないことも、違和感を持たれる原因です。たとえば、スカウターが使われないのに、敵の戦闘力をどう測っているのかが曖昧なままで説明されないなど、細かい部分で世界観の連続性が損なわれていると指摘されています。

さらに、悟空が「身勝手の極意」をあっさりマスターしたことについても、「かつては界王拳ですら命懸けで習得したのに、今はあまりにも簡単すぎる」と不満を感じるファンは少なくありません。
このように、旧作を大切にしてきたファンほど、超とのズレに敏感になりやすく、その結果「なんか違う」というモヤモヤが積み重なって、「ひどい」と感じる一因になっているのです。

3-5. 「ドラゴンボール超」のシナリオに対する不満

「ドラゴンボール超」漫画版に対して、多くの読者が抱いているのがシナリオに対する不満です。
まず一つ目は、「敵キャラの魅力不足」です。たとえば「モロ編」では、モロが魔力を吸い取るという設定自体は面白かったのですが、最終的にはただのパワーインフレバトルになってしまい、中盤以降は既視感のある展開に陥ったと感じた人が多いようです。

また、「グラノラ編」においても、グラノラの動機や葛藤は描かれているものの、ストーリー全体の焦点がぼやけがちで、「結局何を描きたかったのかよくわからない」という意見が目立ちました。さらに、敵側のヒータ軍やガスといったキャラクターたちも、読者に強い印象を残せず、消化不良感が残る結果となっています。

もう一つ大きな問題は、「ご都合主義的な展開」です。悟空やベジータが敗れても、すぐに新たな技やフォームを習得して逆転するというパターンが繰り返されるため、緊張感が持続しづらいのです。特に、悟空が身勝手の極意の「自在に発動できる状態」に到達する過程が、あまりにもスムーズすぎて、「努力や苦難を乗り越えるドラゴンボールらしさが薄れた」と感じた読者も多いです。

このように、ストーリー構成の甘さや敵キャラの印象の薄さ、そして緊張感の欠如が重なった結果、「ドラゴンボール超の漫画版はシナリオがひどい」と厳しい評価を受けることになっているのです。

4.具体的なシーンやエピソードが「ひどい」とされる理由

4-1. 無敵キャラクターの登場でのバランス崩壊

「ドラゴンボール超」漫画版が批判される理由の一つに、無敵クラスのキャラクターの登場によるバランス崩壊があります。
特に問題視されているのは、「モロ編」や「グラノラ編」での敵キャラクターの扱いです。たとえば、モロは地球のエネルギーを吸収し、銀河全体を脅かすほどの力を持つ存在として描かれました。これにより、悟空やベジータがどれだけ修行を重ねても、一瞬で無力化されてしまう展開が繰り返され、緊張感を生み出すどころか読者に「またか…」という諦めの空気を与えてしまいました。

さらに、グラノラ編では、たった一瞬で「宇宙一の戦士」へと変貌するグラノラが登場しました。この「ドラゴンボール超」における”願いによる即強化”の設定は、それまでの「努力して強くなる」というドラゴンボールらしさを否定するかのような内容で、多くのファンから批判を受けました。

このような急激すぎるインフレ展開によって、ストーリーのバランスが壊れ、せっかくの修行や成長描写も台無しになってしまっている点が、「ひどい」と言われる大きな要因になっています。

4-2. 鳥山明の手がけるストーリーと他の作家の違い

「ドラゴンボール超」漫画版では、鳥山明先生が直接すべてのストーリーを描いているわけではないという点も、作品への評価に大きく影響しています。
もともと鳥山先生が描いていた「ドラゴンボール」本編は、シンプルながらもテンポが良く、キャラクターたちの個性が活きたストーリー展開が魅力でした。敵キャラもただ強いだけでなく、フリーザやセルのように「圧倒的な恐怖感」や「戦う動機の深さ」が描かれていました。

一方、「ドラゴンボール超」では、鳥山先生が原案を提供しつつ、具体的な漫画作業はとよたろう先生に託されています。これによって、どうしてもストーリー運びが丁寧すぎる傾向になり、旧作にあった勢いやサプライズ感が薄れてしまっているのです。

特にモロ編以降、敵キャラクターの背景設定や能力説明に多くのページを割くスタイルが目立ち、読者に「読み応えはあるけど、ワクワクしない」と言わせてしまっています。
鳥山先生ならではの「シンプルだけど面白い」「いい意味で雑な展開の速さ」が失われ、真面目すぎるストーリーになってしまった点が、違和感を生んでいる原因です。

4-3. 画風の変化とそれに対する反応

「ドラゴンボール超」漫画版でたびたび話題になるのが、画風の変化とそれに対するファンの反応です。
とよたろう先生が作画を担当している現在の漫画版は、鳥山明先生の絵柄を忠実に再現しようと努力しているのがわかります。しかし、それでもファンからは「微妙に違う」といった違和感の声が多く聞かれます。

特に、キャラクターの表情や動きに対する指摘が多いです。旧作の鳥山先生の絵は、たとえ静止画であってもキャラクターが動いているような生き生きとした表現がありました。対して「超」の漫画版では、絵は綺麗でも動きが硬く感じられることがあり、バトルシーンの迫力がいま一歩に見えてしまうことがあるのです。

また、悟空やベジータの顔の描き方についても、「鳥山明版に比べて感情表現が乏しい」「笑顔が不自然」と感じる読者も少なくありません。これにより、かつての「読んでいてワクワクするドラゴンボール」とは少し異なる雰囲気になり、長年のファンほど違和感を覚えやすい状況が生まれています。

こうした画風の違いも、「ドラゴンボール超」漫画版が「ひどい」と言われる一因となっているのです。

5.読者の反応とSNSでの評判

5-1. Twitterや掲示板での「ひどい」コメント

「ドラゴンボール超」漫画版に対する厳しい意見は、Twitter(現X)や掲示板でも多く見受けられます。
特に、月刊Vジャンプで新話が掲載されるたびに、「今月もストーリーが進まない」「また悟空頼みの展開か」といったコメントが相次いで投稿されています。たとえば、モロ編の終盤では、「身勝手の極意で結局また悟空が解決するのか…」という冷めた声が散見されました。

また、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の漫画板でも、「グラノラ編の構成が雑すぎる」「敵が強くなりすぎて興ざめ」といったスレッドが立ち、ファン同士の議論がヒートアップしている様子が見られます。
特に印象的だったのは、ある掲示板ユーザーが「ドラゴンボールは努力と修行の物語だったのに、今はドラゴンボール(願い)一発で宇宙一になるから感情移入できない」と投稿していたことです。このコメントは、多くの読者の本音を代弁していたと言えるでしょう。

こうしたSNSや掲示板での声を見ると、やはり「テンポの悪さ」「ご都合主義」「キャラクターの薄さ」といった点が、ファンの不満の中心になっていることがよくわかります。

5-2. 人気YouTuberやレビューサイトの評価

「ドラゴンボール超」漫画版に対する評価は、YouTuberやレビューサイトでも大きな話題になっています。
特に、アニメや漫画レビューを専門に扱う人気YouTuberたちは、最新話が出るたびにリアクション動画を投稿していますが、その多くが手厳しい内容となっています。

たとえば登録者数30万人超えの某アニメ系YouTuberは、「モロ編終盤は戦いの決着が引き伸ばされすぎて、見ていてしんどかった」と感想を述べていました。また、別のYouTuberも「グラノラ編は敵キャラが強くなりすぎて、誰に感情移入すればいいのかわからなかった」と語っており、漫画版のシナリオ構成に疑問を呈しています。

さらに、Amazonやコミックナタリーといったレビューサイトでも、「絵は綺麗だけど内容が薄い」「昔のドラゴンボールのワクワク感がない」といった評価が多数投稿されています。
総じて、表面的には高いクオリティを保っているものの、ストーリー面で物足りなさを感じている読者が多いことがわかります。

5-3. 「ドラゴンボール超」のファンが語る不満

「ドラゴンボール超」漫画版に対するファンの不満は、SNSやレビューサイトだけでなく、実際の読者コメントからも色濃く読み取れます。
長年のドラゴンボールファンたちは、「超」に対して複雑な思いを抱いているようです。

具体的には、「ドラゴンボールは本来、悟空たちが努力と修行を重ねて強くなっていく物語だったのに、今の超では突然強くなったキャラが出てきてバランスを壊している」という声が非常に多いです。また、「敵キャラに全然魅力を感じない」「身勝手の極意ばかりでバトルパターンが単調」といった意見もよく見かけます。

さらに、ファンの中には、「とよたろう先生の作画は安定しているけど、キャラの表情が硬くて感情移入しにくい」という指摘をする人もいます。絵のクオリティ自体は一定以上に保たれているものの、かつての鳥山明先生が持っていた”遊び心”や”軽妙なテンポ感”が失われていると感じている人が多いのが現状です。

このように、ファンたちはただ単に懐古主義で批判しているわけではなく、「ドラゴンボール」という作品に対する愛情があるからこそ、より厳しい目で「超」を見ているのだと言えるでしょう。

6.「ドラゴンボール超」漫画の未来はどうなる?

6-1. 今後のストーリー展開と予想

「ドラゴンボール超」漫画版は、これまで「モロ編」「グラノラ編」と続き、現在は「スーパーヒーロー編」が展開されています。
今後の展開としては、映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』の内容を漫画版で改めて描写しながら、新たなオリジナル展開へとつなげていく流れが予想されています。

特に注目されているのは、悟飯ビーストやオレンジピッコロといった、映画で新たに覚醒したキャラクターたちが、漫画版でどのように活躍するかです。ファンの間では「このまま映画に合わせるだけでなく、漫画ならではの追加エピソードを入れてほしい」という期待の声が多く上がっています。

さらに、現在のストーリーでは、フリーザが「ブラックフリーザ」として驚異的な成長を遂げていることが明かされており、彼が再び物語の中心に立つ可能性も高いです。
今後の展開では、悟空とベジータが身勝手の極意と我流の力をさらに極め、ブラックフリーザとの新たな決戦が描かれると予想されています。

6-2. 作品の進化と改善の可能性

「ドラゴンボール超」漫画版には、今後さらなる進化と改善の可能性も十分にあります。
これまでの課題として指摘されてきたのは、ストーリーのテンポの遅さや、キャラクターの掘り下げ不足でしたが、スーパーヒーロー編では比較的コンパクトな構成で進行しており、「読みやすくなった」という評価も少しずつ増えています。

また、作画担当のとよたろう先生も、連載を重ねるごとに画力を磨いており、特にバトルシーンの迫力や、キャラクターの表情の描き分けは以前よりも洗練されてきています。たとえば、悟飯ビースト覚醒シーンなどは、鳥山明先生らしさを意識しつつも、とよたろう先生らしい迫力ある表現ができるようになってきたと好意的に受け止められています。

さらに、今後は悟空やベジータだけでなく、悟飯やピッコロといったサブキャラクターにも光を当てるストーリー展開が期待されており、群像劇的な面白さを取り戻せるかもしれないという希望も持たれています。
読者の声を受け止めながら、さらに進化していく余地があるのが、「ドラゴンボール超」の魅力だと言えるでしょう。

6-3. 鳥山明のコメントやインタビューから見る未来

「ドラゴンボール超」の今後を占う上で欠かせないのが、鳥山明先生自身の発言やインタビューです。
鳥山先生は、過去のインタビューで「もう悟空たちは十分強いから、これ以上のインフレは考えていない」と語っていました。これはつまり、今後の物語では単なるパワーアップ競争ではなく、キャラクターたちの生き様や関係性にフォーカスした展開が重視される可能性を示唆しています。

実際、映画『スーパーヒーロー』でも、悟飯やピッコロといった「家族」や「師弟関係」をテーマにしたストーリーが描かれており、今後の漫画版にもその流れが色濃く反映されるかもしれません。

また、鳥山先生は「若い世代にも『ドラゴンボール』を楽しんでほしい」とも語っており、今後の展開では、悟飯の娘パンや、新たな世代のキャラクターたちにも焦点が当たる可能性が高いです。
このように、鳥山先生のビジョンを踏まえれば、「超」もただ強さを求めるだけでなく、**より人間ドラマに重きを置いた新しい「ドラゴンボール像」**を築いていくかもしれません。

7.まとめ

7-1. 「ひどい」と感じるポイントを再確認

ここまで見てきたように、「ドラゴンボール超」漫画版が「ひどい」と言われる理由は、いくつかの具体的なポイントに集約されます。
まず第一に挙げられるのが、物語の進行速度が遅いことです。モロ編やグラノラ編では、戦闘や設定説明が長引き、展開のテンポが悪くなってしまいました。特に月刊連載ということもあり、1話あたりの進行量が少なく、読者の間では「毎月待ったのにあまり進まない」と不満が高まっていました。

次に、キャラクター描写の浅さが指摘されています。悟空やベジータをはじめとする主要キャラクターの心情描写が少なく、バトルに偏重しすぎたため、感情移入しづらくなっている点が批判されています。
また、無敵クラスの新キャラ登場によるバランス崩壊も問題です。モロやグラノラといったキャラクターたちが急激にパワーアップすることで、従来の「努力して強くなる」というドラゴンボールらしさが薄れ、読者に違和感を与えてしまいました。

さらに、旧作「ドラゴンボールZ」や「ドラゴンボール」との整合性の問題も大きな不満点です。特に悟飯やベジータの扱いに対して「本来のキャラクター性が損なわれている」と感じるファンは多く、これが「ひどい」という印象を強める原因となっています。

これらの要素が重なり合うことで、「ドラゴンボール超」漫画版は厳しい評価を受けることになっているのです。

7-2. 批判的な意見を受け止めつつ、作品の良さを再評価する

とはいえ、「ドラゴンボール超」漫画版にはしっかりとした魅力や進化している点も確かに存在しています。
たとえば、作画担当のとよたろう先生は、連載を重ねる中で画力を向上させており、特にバトルシーンの迫力やキャラクターのディテール表現は、かなり高い水準に達しています。悟飯ビーストやオレンジピッコロといった最新形態も、漫画版ならではの細かい描写で描かれており、ファンから好意的な声も上がっています。

また、ストーリー面でも、「力の大会編」以降はオリジナル展開に挑戦しており、モロ編やグラノラ編では新たな世界観や設定を積極的に導入しました。もちろん賛否はありますが、「単なる焼き直しではなく、新しいドラゴンボールを描こうとしている」という意欲は評価に値するでしょう。

さらに、今後の展開としては、映画『スーパーヒーロー』を取り入れたストーリーラインにより、悟飯やピッコロといったキャラクターたちに再びスポットライトが当たることが期待されています。これにより、悟空とベジータ一辺倒だったこれまでの流れに変化が生まれ、群像劇的な面白さが復活する可能性もあります。

批判的な意見を無視することなく受け止めつつ、「ドラゴンボール超」という作品が持つポテンシャルや、進化している部分にも目を向ければ、まだまだ期待できる部分はたくさんあるのです。
大切なのは、「過去と同じであること」を求めるのではなく、「新しいドラゴンボールの形」を楽しむ気持ちを持つことかもしれません。

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